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浦和地方裁判所 平成7年(ワ)327号 判決

原告

佐藤文造

原告

佐藤まさ

右両名訴訟代理人弁護士

佐々木新一

奥村一彦

被告

医療法人社団芳寿会

右代表者理事長

玉井孝信

右訴訟代理人弁護士

大内猛彦

右訴訟復代理人弁護士

大内圀子

被告

腰越彰

右訴訟代理人弁護士

大宮竹彦

塩生三郎

内田成宣

宮﨑良昭

主文

被告らは、連帯して、原告らに対し、各一六八六万四五四八円及び各原告に対して右各金員に対する平成四年四月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二 原告らの被告らに対するその余の請求を棄却する。

三 訴訟費用は、これを二分し、その一を原告らの負担とし、その余は被告らの負担とする。

四 この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、連帯して、原告らに対し、各三四九二万三三七四円及び各原告に対して右金員に対する平成四年四月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は、被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告らは、平成四年四月二一日に死亡した佐藤惠昭(昭和三九年七月六日生れ。以下「惠昭」という。)の両親であり、惠昭の相続人である。

被告医療法人芳寿会(以下「被告法人」という。)は、玉井病院(以下「本件病院」という。)を開設し、医師を雇用して医療行為に当たらせているものである。

被告腰越彰(以下「被告腰越」という。)は、同年三月二二日、原動機付自転車(以下「本件原付」という。)を、その後部荷台に惠昭を乗せて運転中、後記事故を発生させた。

2  本件事故の発生と惠昭に対する診療経過

惠昭は、平成四年三月二二日午前三時四〇分ころ、東京都渋谷区神山町〈番地略〉先路上において、被告腰越の運転する本件原付の後部荷台に同乗していたところ、被告腰越が運転操作を誤り本件原付を転倒させたことにより、惠昭も、本件原付とともに転倒して負傷した(以下「本件事故」という。)。

惠昭は、本件事故後、救急車で本件病院に収容され、本件病院において、「右腓骨骨折、右足関節脱臼骨折」と診断され、緊急治療を受けた上、同日、本件病院に入院した。

惠昭は、同月二三日、局所安静のため、右下腿にギプスシーネ固定の施行を受け、同月二六日、右足関節脱臼の整復のため、腰椎麻酔下で観血的右足関節脱臼整復固定術(以下「本件手術」という。)を受け、同年四月一三日からは、足関節固定式荷重可能の短下肢装具を装着して歩行訓練を開始した。

惠昭は、同月一八日、突然胸苦しさを訴え、本件病院に勤務する内科医師西澤一晃(以下「西澤医師」という。)の診察を受けていたが、同月二一日午後五時四五分ころ、惠昭がトイレに行ったまま戻ってこないため、看護婦がトイレに様子を見に行ったところ、惠昭は、トイレでチアノーゼ状態で座り込んでおり、直ちに西澤医師による治療を受けたものの、同日午後六時ころ、意識が消失して呼吸が停止し、同日午後八時四〇分ころ、死亡が確認された。惠昭の死亡原因は、急性心不全とされた。

3  被告法人の責任原因

惠昭は、本件事故により右腓骨骨折等の傷害を負い、右足関節脱臼の整復のための本件手術を受け、安静臥床の状態であったこと、身長約一七〇センチメートル、体重八二キログラムの肥満体であったことから、惠昭には肺塞栓症を発症する危険因子が存在したこと、惠昭は、平成四年四月一三日に歩行訓練を開始したが、同月一八日、突然激しい胸苦を訴え、その後も右症状が不整脈・動悸・不安感を伴って断続的に現われており、右症状は肺塞栓症の症状と合致し、発症時期の点でも、肺塞栓症は、歩行開始後一週間程度で発症する場合があり、同月二〇日午後四時三〇分ころに実施された心電図検査の所見では、心臓に血流異常が生じていることを示すST上昇や陰性T波のほか、肺塞栓症を示すSIQⅢTⅢ型、あるいはこれと同視することができる波型が現われていたのであるから、西澤医師は、遅くとも同日午後四時三〇分ころには、惠昭が肺塞栓症であることを疑い、肺塞栓症に対する処置として肺塞栓症の予防ないし改善の効果を有するヘパリン等を静脈注射する等の抗凝固療法を実施するとともに、肺塞栓症の鑑別診断のための諸検査を行って、惠昭が肺塞栓症であることを究明し、これに対する適切な治療を行わなければならない義務を負っていた。

しかし、西澤医師は、惠昭に生じた症状が、狭心症によるものであると疑って、狭心症に対する処置は執ったが、肺塞栓症を疑うことはなく、これに対する処置や諸検査を実施せずに惠昭を放置して右義務を果たさず、その結果、惠昭の肺塞栓症の症状は亢進し、惠昭は、同月二一日夕方ころには、肺塞栓症の晩期兆候であるチアノーゼ・ショック・呼吸困難の症状を呈し、同日午後八時四〇分ころ、死亡が確認されるに至った。

よって、西澤医師には、過失があり、同医師は、惠昭の死亡による損害について賠償責任を負うべきところ、被告法人は、西澤医師を雇用するものであるから、被告法人は、惠昭の死亡による損害を賠償する責任を負う。

4  被告腰越の責任原因

被告腰越は、本件原付を運転していたのであるから、その運転操作に安全を期し、その操作により衝突事故や横転等の危険な状態にならないように注意する義務を負っていた。しかし、被告腰越は、本件原付の運転操作を誤って、走行中に本件原付を横転させ、後部荷台に同乗していた惠昭を路上に転倒させて、惠昭に右腓骨骨折、右足関節脱臼骨折の傷害を負わせた。その結果、惠昭の右骨折箇所から遊離した骨髄内脂肪組織、または、脱臼の整復手術である本件手術後の安静状態から発症した深部静脈血栓症による血栓子が、血液の流れにより肺動脈に集中して惠昭の肺動脈を閉塞する肺塞栓症を発症し、惠昭は、死亡するに至った。

よって、被告腰越には、過失があり、惠昭は、本件事故から直接に、または本件事故及び本件手術に伴う安静によって肺塞栓症を発症し、その結果死亡したのであり、本件事故と惠昭の死亡との間には、相当因果関係があるから、被告腰越は、惠昭の死亡による損害を賠償する責任を負う。

5  損害

(一) 惠昭に生じた損害

(1) 入院雑費 三万六〇〇〇円

入院期間三〇日、一日当たりの費用一二〇〇円

一二〇〇円×三〇日=三万六〇〇〇円

(2) 逸失利益 四〇七三万六四五四円

惠昭は、昭和三七年七月六日生まれで、死亡当時二七歳であり、日本大学通信教育部文理学科史学科に在籍(八年生)する勤労学生であって、大宮市内のパイオランドホテルでフロント係のアルバイトをしていた。逸失利益については、平成二年賃金センサスに1.0360倍して算出した年齢別平均給与額に基づき、二七歳の平均給与月額三一万三七〇〇円を求め、それに生活費控除率五〇パーセントと、新ホフマン係数21.643をそれぞれ乗じて算定する。

31万3700×12×0.5×21.643=4073万6454円

(3) 入院慰籍料(一か月分) 四八万円

(4) 死亡慰謝料 二〇〇〇万円

(5) 相続

原告らは、惠昭に生じた右(1)から(4)の合計である六一二五万二四五四円の損害賠償請求権を二分の一ずつ相続により取得した。

(二) 原告ら固有の損害

(1) 葬祭費 一二〇万円

(2) 弁護士費用 七四九万四二九四円

原告らは、本件事故に伴う損害賠償請求事件を原告代理人らに委任し、その実費の負担を約した上、着手金、報酬金を合計した手続費用として、損害賠償請求合計額の一二パーセントの支払を約した。右一二パーセントに相当する合計金額は七四九万四二九四円である。

(三) 損害の填補

被告腰越は、原告らに対し、損害賠償として合計一〇万円を支払った。

(四) よって、原告らは、各自、被告法人及び被告腰越に対し、連帯して、三四九二万三三七四円の損害賠償請求権を有する。

6  被告らの責任の関係

惠昭は、本件事故により、右腓骨骨折及び右足関節脱臼骨折の傷害を負い、これに伴う肺塞栓症により死亡したのであるから、死亡との直接の因果関係は、被告腰越の不法行為との間にあるが、惠昭の死亡は、被告法人に雇用される西澤医師が、惠昭に肺塞栓症を疑うべき症状が存したにもかかわらず、これを放置して適切な治療行為を行わなかったことによる被告法人の医療過誤が重なって生じたものであるから、被告両名の行為は、共同不法行為を構成する。

7  よって、原告らは、被告らに対し、各自三四九二万三三七四円及び右各金員に対する惠昭が死亡した日である平成四年四月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2は、認める。

2  請求原因3のうち、惠昭が、本件事故によって右腓骨骨折等の傷害を負い、その治療のため本件手術を受けたこと、惠昭の身長が約一七〇センチメートルで、体重が八二キログラムであること、惠昭の平成四年四月二〇日午後四時三〇分ころに実施された心電図検査で、ST上昇、陰性T波の結果が得られたこと、西澤医師が、惠昭に対し、ヘパリンの静脈注射等の抗凝固療法を実施していないことは、認め、その余は、否認ないし争う。

3  請求原因4のうち、被告腰越が、本件原付の運転操作を誤って、走行中に本件原付を横転させ、後部荷台に同乗していた惠昭を路上に転倒させて、惠昭に、右腓骨骨折の傷害を負わせたこと、惠昭が、死亡したことは、認め、その余は、否認ないし争う。なお、惠昭の傷害について、右足関節脱臼骨折とあるが、「右足関節脱臼(遠位)脛腓関節脱臼」である(以下、右腓骨骨折と右足関節脱臼骨折又は右足関節脱臼(遠位)脛腓関節脱臼を合わせて「右腓骨骨折等」という。)。

4  請求原因5のうち、被告腰越が、原告らに対し、一〇万円を支払済みであることは認め、その余は、否認ないし争う。

5  請求原因6は、争う。

三  被告法人の主張

1  過失の不存在

西澤医師は、平成四年四月一八日、胸苦しさを訴えた惠昭の診察をした際、惠昭が本件事故により右腓骨骨折等の傷害を負い、同年三月二六日に本件手術を受けていることから、本件骨折から直接、あるいは本件手術の合併症として肺塞栓症を発症している可能性もあることは念頭においていた。

しかし、惠昭の同年四月一八日の主訴は、胸苦しさであり、呼吸困難からは、心不全、気管支喘息、肺炎、急性呼吸速促症候群、過換気症候群、肺塞栓症が疑われるものの、惠昭には、肺塞栓症の典型的な症状である胸痛や血疾等の症状に欠けていた上、右症状の発症時期、本件骨折の部位及びその態様から、肺塞栓症の可能性は低く、むしろ、突然の胸痛、呼吸困難等が発生した場合、一般的には、急性心筋梗塞等の心疾患を疑うことから、惠昭についても、心疾患を疑い、その疾病に向けた検査として心電図検査を行ったのである。

また、同月二〇日の心電図では、ST上昇という虚血性変化がみられ、心臓由来の病態の可能性を示唆していたので、西澤医師は、心臓の虚血性変化を考慮して、硝酸薬のフランドルテープを貼布し、経過を観察していたものであり、西澤医師の行為は、惠昭の症状、検査結果に照らして適切な診療行為であり、何ら過失はない。

しかも、原告らが主張するように、惠昭が肺塞栓症を発症していたことが明らかであれば、本件事故は、刑事事件としては業務上過失致死として立件されていたはずであるが、実際には、業務上過失傷害及び道路交通法違反の罪名で立件されていること、自賠責保険からの惠昭の死亡に係る保険金の給付が拒絶されていること、原告ら自身が、訴状の段階では脳損傷を主張しており、肺塞栓症を主張し始めたのは、惠昭が死亡してから約四年以上が経過した後であること、肺塞栓症は、病理学的には一般的な疾病であるが、臨床的には、まれな疾病として認識されていることによると、西澤医師が惠昭の症状を肺塞栓症であると診断し得なくとも、これをもって過失があるとはいえない。

2  因果関係の不存在

仮に、西澤医師が、平成四年四月一八日及び同月二〇日に肺塞栓症を疑って、肺塞栓症を予防及び改善するための処置や鑑別診断のための諸検査を行わなかったことに過失があったとしても、惠昭の死亡の原因は、次のとおり肺塞栓症ではなかったから、右過失と惠昭の死亡との間には、因果関係がない。すなわち、肺塞栓症の典型的な症状は、胸痛、呼吸困難、チアノーゼ、点状出血、脳症状、発熱、血痰であるが、惠昭の平成四年四月一八日の主訴は、胸苦しさ、ないし、立ち上がる際に目の前が暗くなったというものであり、その他の胸痛、点状出血、脳症状、発熱、血痰等の肺塞栓症の典型的な症状に欠けていた。肺塞栓症は、事故ないし手術から一週間以内に発症することが多いが、惠昭は、本件事故ないし本件手術の約三週間経過後に胸苦しさ等を訴えており、肺塞栓症の発症の時期と異なる。また、脂肪組織の遊離により肺塞栓症が発症する場合の骨折部位及び態様は、四肢の大腿骨、頸骨等における多発骨折が多いが、惠昭の骨折は、右足関節の遠位脛腓関節脱臼に剥離骨折が合併した軽微なものであり、しかも螺子で固定されて受傷部位の安静が保たれていたのであるから、脂肪組織を塞栓子とする肺塞栓症をもたらすような骨折とは、部位及び態様の点で異なる。さらに、惠昭の死亡時の呼吸速促・呼吸困難といった状況も、心と肺とは臨床的に密接に関連していることを考えれば、病態的に、惠昭の症状が直ちに肺の異常症状であったとはいえない。よって、惠昭の死因が肺塞栓症であると認めることはできない以上、西澤医師が、肺塞栓症を疑って、これに対する処置や諸検査をしなかったから、惠昭が死亡するに至ったということはできず、仮に、西澤医師に右の点について過失があったとしても、右過失と死亡との間に相当因果関係は存しない。

3  信義則違反

原告らは、被告法人が、惠昭の剖検をするよう勧めたにもかかわらず、これを拒否した。そのため、惠昭の死因に関する客観的な資料が存在しないのであり、被告法人は、事故に過誤がなかったことを証明する手段を奪われたに等しく、他方、原告らは、被告法人の立証資料を毀損滅失した者というべきであり、立証手段を奪っておきながら、立証不十分であることを理由に医療過誤による損害賠償を求めることは信義則に反する。

4  損害額について

(一) 惠昭の収入について

惠昭は、大学の在学制限期間を超過するため、死亡する前に退学しており、ほとんど勤労者として生活していた。よって、その得ていた収入も大学生のアルバイトとしての収入ではなく、勤労者としてのものである。

惠昭の現実の収入額に関する明確な証拠はないが、自賠責保険の損害査定要綱(実施期間平成元年七月一日から平成四年七月三一日)によると、有職者の逸失利益算定基準金額は、一日当たり四三〇〇円とされ、これを年収に置き換えると、一五六万九五〇〇円であるから、右金額を基準に逸失利益を算出すべきである。

(二) 中間利息控除

中間利息の控除は、ホフマン係数でなく、ライプニッツ係数を使用して行うべきである。けだし、現代の経済は複利運用を前提としてされており、単純運用を前提とするホフマン係数は合理性がなく、また係数二〇を超える数値は、五パーセントの控除の場合、中間利息を正確に控除したことにならないからである。

(三) 惠昭の違法行為による過失相殺ないし賠償額の減額

本件原付は、一人乗りであるから、惠昭が本件原付の後部荷台に乗車したことは、それ自体違法行為であるし、本件事故は、被告腰越の不適切なアクセル操作のみではなく、後部荷台に惠昭が乗車したことによる重心の不安定性も大きな原因であるから、本件事故は、惠昭の行為をも原因として発生している。しかも、惠昭は、被告腰越と大量に飲酒し、被告腰越が酒酔い状態にあったことを知っていたにもかかわらず、本件原付を運転させたのであるから、本件事故は、惠昭の過失ないし違法行為も原因となっており、しかも右過失ないし違法性の程度は重大といえる。

よって、仮に、西澤医師に過失が認められ、その結果、被告法人が、惠昭の死亡による損害を賠償する責任を負うとしても、その損害額を算定するに当たっては、惠昭の右過失を考慮して過失相殺されるべきであり、また、過失相殺が認められないとしても、「発生した損害の公平な分担」という賠償法の観点より、自らが違法行為によって招いた危険や被害を医療者が十全に除去ないし軽減しなかったからといって、その危険や被害の結果について善良な被害者と同一の賠償を受けられるとすることは公平の理念に反するので、右損害が違法行為や反社会的行為によってもたらされた場合は、右事実を減額要素とすべきである。

四  被告腰越の主張

1  被告腰越が、惠昭の死亡による損害を賠償する責任を負うためには、単に被告腰越が、惠昭に対し、本件事故により医師の診断、治療を必要とする傷害を負わせたのみでは足りず、本件事故と惠昭の死亡の結果との間に相当因果関係がなければならないところ、本件においては、次のとおり、そもそも、本件事故と惠昭の死亡との間に事実的因果関係がなく、仮に、事実的因果関係があったとしても、相当因果関係がない。

(一) 事実的因果関係の不存在

肺塞栓症のうち、塞栓子が骨髄内脂肪組織である場合に現われる典型的な症状は、受傷二、三日後に出現する点状出血であり、予防として、局所の固定、安静が求められるところ、惠昭には、点状出血は認められず、平成四年三月二二日に右腓骨骨折等の傷害を負った後、同月二六日に、本件手術が実施され、内固定により骨折部位は接合され、右骨折の態様も、腺状骨折や複雑骨折等ではなく、部位も右足首であり、その後、右骨折等については、順調に回復に向かっていたこと等からすると、骨髄内脂肪組織が遊離する状況にあったとはいえないし、惠昭の肺塞栓症の症状が、受傷後一か月近く経過してから発症しているという発症時期に照らしても、惠昭が骨髄内脂肪組織を塞栓子とする肺塞栓症により死亡したとは到底考えられない。

また、肺塞栓症のうち、塞栓子を血栓子とする深部静脈血栓症は、長期臥床や術後離床の遅れ等を原因として発症するものであり、これを予防するためには、早期離床、歩行訓練等により血液循環を良好に保って血栓の形成を妨げるべきとされているが、本件において、惠昭が長期臥床の状態にあったとまではいえないし、惠昭は、手術の直後から足趾運動を行うとともに、トイレや電話のために、松葉杖を用いて歩行を行うほか、坐居になったり、ベッドサイドに両足を降ろす等していたのであり、血栓子を生じるような安静臥床の状態になかったことは明らかである。

よって、惠昭が本件事故による右腓骨骨折等の傷害自体から直接、あるいは、右腓骨骨折等の治療に必要な安静臥床により肺塞栓症を発症し、その結果死亡したということは認められず、本件事故と惠昭の死亡との間に事実的因果関係は存在しないので、被告腰越が惠昭の死亡による損害を賠償する責任を負うことはない。

(二) 相当因果関係の不存在

仮に惠昭が肺塞栓症によって死亡したものであったとしても、本件事故による惠昭の傷害は、複雑骨折のようなものではなく、内固定による接合手術後は、自然回復的な治癒を待つのみという状態にあった上、医学会において、骨折等の傷害ないしその治療のための手術に起因する肺塞栓症について、予防、診断、治療方法等が研究され、文献も存在し、啓蒙もされているのであるから、本件においても、医師が、惠昭に対し、肺塞栓症の診断、治療等を適切に行っていれば、惠昭の死亡は十分に防ぐことができたものであり、このような場合、被告腰越は、本件事故によって惠昭が死亡することまで通常予見し得ないし、損害の公平な分担の点からも、本件事故と惠昭の死亡との間に相当因果関係は存在しない。

2  過失相殺

本件事故当時、惠昭は二七歳、被告腰越は二一歳であり、サッカーを通じての友人であったが、惠昭及び被告腰越は、本件事故発生日の前日である平成四年三月二一日に仲間と一緒に渋谷で集まり、同日午後七時ころからは居酒屋において、同日午後一〇時三〇分ころから同月二二日午前一時三〇分ころまではカラオケ店において、それぞれ相当量飲酒した上、惠昭は、東京都渋谷区富ヶ谷にある被告腰越宅に泊めてもらうこととし、被告腰越とラーメンを食べたが、その後、被告腰越が前日から置いてあった本件原付に二人乗りして帰ることにして、惠昭が本件原付の後部荷台に乗車し、被告腰越が本件原付を発進させようとした際、被告腰越がアクセルを開きすぎたため、前輪が持ちあがり、バランスを崩して右側に転倒し、惠昭も転倒して、右腓骨骨折等の傷害を負ったものである。このように、惠昭は、本件事故発生日の前日から、被告腰越らと共に相当量飲酒し、同人宅へ泊めてもらうために同人が飲酒の上運転することを承知しながら二人乗りが禁止されている本件原付の後部荷台に同乗したものであること、及び、本件後部への乗車を予定しない本件原付の後部に重量がかかったことが、アクセルを開いた際、前輪が持ちあがる大きな要因となったといえることから、本件事故の発生について、惠昭にも過失が認められるので、四〇パーセントの過失相殺、あるいは、公平信義の原則上賠償額の減額が認められるべきである。

五  原告の反論(過失相殺について)

(被告法人の主張について)

仮に本件事故の発生について惠昭に過失があったとしても、医師は、医療機関として求められる医療水準における十分な診療を行う義務を負い、医療過誤に基づく医師の責任は、右義務の履行を尽くしたか否かによって判断されるものであり、右義務の履行の前提となった本件事故における被害者の過失は、医師の右義務の履行の有無の判断において影響を与えることはないから、本件事故における惠昭の過失をもって、医療過誤による損害額の算定において過失相殺するという被告法人の主張は失当である。

(被告腰越の主張について)

交通法規は、運転者に求められる義務ではあるが、同乗者に求められる義務ではないし、本件交通事故は、被告腰越の運転操作の誤りにより発生したものであるところ、惠昭は、被告腰越の運転操作の誤りに対し、何ら積極的関与もせず、影響も与えていないのであるから、惠昭には、本件事故の発生について過失はない。

第三 証拠

本件訴訟記録における書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  請求原因1、2の事実、惠昭の平成四年四月二〇日午後四時三〇分ころ実施の心電図検査において、ST上昇、陰性T波の結果が得られたこと、西澤医師が、惠昭に対し、ヘパリンの静脈注射等の抗凝固療法を実施していないこと、被告腰越が、原告らに一〇万円を支払ったことは、当事者間に争いがない。

二  そこで、本件事故の発生状況、本件病院における診療の経過と惠昭の症状の推移等についてみると、右当事者間に争いのない事実に証拠(甲第一ないし第六号証、第一一号証、第一六号証、第一八号証の一、二、第一九号証の一、二、第二〇号証の一、二、第二一号証の一ないし六、第二二号証の一、二、第二三ないし二七号証、乙い第一号証の一ないし一二、第二及び第三号証、乙ろ第一号証の一ないし一二、第二号証の一、二、第三及び第四号証、原告佐藤まさ本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  本件事故に至る経緯及び本件事故の態様

惠昭(昭和三九年七月六日生れ)は、父原告佐藤文造、母原告佐藤まさの長男として生まれ(甲第一号証)、本件事故当時、日本大学通信教育部文理学科史学科に在籍する(在籍八年目、退学予定)とともに、埼玉県大宮市にあるパイオランドホテルでフロント係のアルバイトをしており、惠昭の身長は、約一七〇センチメートルで、体重は、約八二キログラムであった。

惠昭は、出身校である東京都渋谷区立大向小学校のサッカーチームのコーチをしていたが、辞めることになったので、本件事故の前日である平成四年三月二一日、サッカー仲間が一二人から一三人渋谷に集まり、惠昭の送別会を行った。被告腰越も、サッカーチームの仲間で、惠昭の後輩であり、右送別会に出席していた。惠昭らは、同日午後七時ころから午後九時ころまで、居酒屋において飲食し、被告腰越は、ビール(大瓶)を三本程飲んだ。惠昭は、ビール飲んでおり、集まった仲間らに、次はカラオケへ行こうと持ちかけ、八人ほどでカラオケ店へ行き、同日午後一〇時三〇分ころから翌同月二二日午前一時三〇分ころまで、右カラオケ店で歌を歌いながら飲酒し、被告腰越は、三五〇cc入りの缶ビールを二、三本飲んだ。その後、東京都渋谷区に住む被告腰越が惠昭を泊めることになり、カラオケ店を出た後、惠昭と被告腰越は、ラーメン屋に立ち寄り、同日午前二時三〇分ころから同日三時二〇分ころまでの間、被告腰越は、ラーメンとコップ約四杯のビールを飲食し、その後、惠昭と被告腰越は、以前から被告腰越が駅の前に置いておいた本件原付を持って帰ることとした。被告腰越は、途中まで本件原付を押して歩いていたが、早く家に着きたいという気持ちから、惠昭に対し、本件原付に二人乗りして帰ることを持ちかけたところ、惠昭もこれに応じたので、被告腰越が本件原付を運転し、惠昭が本件原付の後部荷台に同乗して発進した。

そして、被告腰越は、同日午前三時四〇分ころ、東京都渋谷区神山町〈番地略〉先の交差点を左折する際、誤ってアクセルを聞きすぎたため、本件原付を急加速させ、その結果本件原付の前輪が持ちあがり、バランスを崩して右側に転倒し、惠昭を転倒させて、右足首を負傷させた。

被告腰越は、惠昭が本件原付の下敷きになり、疼痛を訴えて立ち上がることができなかったことから、救急車を呼んだ。惠昭は、救急車で運ばれる際、意識は清明であったが、救急隊員に対し、右下腿部の痛みを訴えており、また、右下腿部に変形も認められたことから、救急隊員により保温処置及び右下腿部の固定処置が施され、本件病院に搬送された。

なお、その後、警察によって被告腰越の飲酒検知が実施されたところ、被告腰越の呼気一リットル中に0.25ミリグラムのアルコールが検出された(乙い第一号証の一ないし五)。

2  本件病院での処置

惠昭は、本件病院での診察の際、意識は明瞭であったが、右下肢から右の踵までの痛みを訴え、他覚的にも右足首に腫脹が見られたほか、事故の態様が本件原付きの転倒事故であったことから、右足関節、右下腿、骨盤、頭部のレントゲン写真が撮影され、右レントゲン写真から、右腓骨骨折が認められた。しかし、頭部の骨折は認められなかった。次に、頭部CT検査が実施されたが、外傷性変化は見られず、正常であった(甲第四号証六八丁ないし七〇丁)。そこで、医師は、「右腓骨骨折、右足関節脱臼骨折」と診断し(ただし、診療報酬明細書には、「右足関節脱臼(遠位脛腓骨靱帯断裂)、頭部打撲、腰部打撲」と記載されている。甲第四号証九六丁)、右下腿から右足関節にかけて、湿布処理をした上、右下肢についてギブス固定(カルテの記載は、「シーネ固定」である。)した。なお、惠昭には、高血圧、糖尿はないが、二歳ころに喘息があったとのことであった(甲第四、第一一号証)。

3  本件病院への入院及び骨折の治療経過

(一)  惠昭は、本件病院で右処置を受けた後、そのまま入院し、医師湯沢喜志雄(以下「湯沢医師」という。)の診察を受けた。湯沢医師は、惠昭から本件事故が負傷の原因であること、右足関節と右下肢に疼痛があることを聞き、惠昭の右脚に腫脹が顕著であったことなどから、病名を右腓骨骨折、右脚関節脱臼骨折としたが、右足について神経学的には無傷であると診断した。惠昭は、巡回した看護婦に対し、骨折部分に疼痛があり、動かすと激痛があるが、頭痛や吐き気はない旨話しており、足趾運動も可能であった。惠昭は、平成四年三月二三日、右下肢の足首から膝までにギプスを巻いて骨折部分を固定したが、痛みやしびれはなく、足趾運動は良好で、循環障害もなく、血液検査、尿検査等の諸検査の結果も正常であった。湯沢医師は、同月二五日、惠昭について、右腓骨骨折、右足関節脱臼骨折により全治六週間の見込である旨の診断書を作成し(甲第四号証九四丁、乙い第一号証の六)、惠昭の診察をした際、右下肢の疼痛は軽減したが不安定性が認められ、レントゲン写真上、遠位脛骨腓骨断裂が見られたことから、惠昭の両親である原告らの承諾を得て、右足関節脱臼整復固定術の手術を行うこととし、同月二六日、腰椎麻酔の上、足関節脱臼観血的整復固定術(本件手術)を実施した。本件手術中、惠昭の血圧は安定しており、脈拍、心電図にも異常はなく、本件手術は順調に施行された。

(二)  惠昭は、平成四年三月二七日朝から食事をとり、発熱もなく、足指の運動もなめらかで、松葉杖で体を支えてトイレや電話のために移動することができる状態であった。手術後の傷の痛みはあるが、自制の範囲内であり、頭痛、しびれ、冷感もなく、足趾運動も行った。その後、同月三〇日から同年四月四日までは、湯沢医師の診察において、手術創の経過観察とガーゼ交換が行われ、手術創の経過は良好であった。惠昭は、巡回する看護婦に対しては、時折頭痛を訴えたが、継続したり、吐き気を伴うものではなく、また、創痛や患肢痛については、松葉杖を用いて歩行したり、体を動かしたり、足をベッドから垂直に下ろしたりすると痛みやしびれがあるが、安静にしておれば特に痛みやしびれはなく、同月三日には、ベッドから足を垂直に下ろしても、疼痛やしびれは生じないが、松葉杖で支えて患肢を床に付けるとやはり痛みがある旨話しており、同月四日には、患肢の痛みやしびれは全くなく、浮腫も軽減し、松葉杖で体を支えてトイレへ行ったり、電話を架けに行ったりしており、松葉杖の使用にも大分慣れた様子であった。惠昭は、同月五日、看護婦に対し、トイレで患肢を強く付いてから足趾の動きが良くなり、痛みも軽減した旨話しており、足趾運動も良好であった。

(三)  湯沢医師は、平成四年四月六日の診察の際、惠昭の右足首に腫脹があることを認めたが、装具を付けて歩行の練習を開始することとし、装具の装着のための採寸が行われた。惠昭の足関節の動きは良好で、顔色も良好であった。惠昭は、同月七日及び同月八日、看護婦に対し、歩行時に疼痛があり、歩行後や足をベッドから垂直に下ろしているとしびれるので、湯沢医師に診察してもらいたい旨訴え、同月九日、湯沢医師の診察を受けたところ、今の時点では、このような症状があることには特に問題はないと説明され、また、手術創の経過は良好で、入浴が許された。しかし、同日午後七時、37.2度の発熱と頭痛があり、午後九時には、37.5度の発熱があったが、頭痛はなくなった。同月一〇日、体温は、36.0度に下がり、入浴したが、午後八時には、37.1度の微熱があり、看護婦に対し、患肢が思うように上がらないと訴えた。同月一一日、湯沢医師の診察を受けたが、著変はないとされ、同月一二日には、患肢の痛みはないが、松葉杖を用いて歩行中患肢を下げるとしびれが軽度あり、37.2度の微熱もあったが、頭痛、吐き気、咳はなかった。

(四)  平成四年四月一三日には、熱は下がり、短下肢装具で足関節固定式荷重可能の装具を付けての歩行練習を始め、同月一五日及び同月一六日には、装具に負荷をかけると疼痛があり、右足に浮腫が認められたが、同月一七日には、装具を付けて、やっと歩ける程度まで回復した。

4  容態の変化と死亡に至る経緯

(一)  惠昭は、平成四年四月一八日午後二時、看護婦に対し、同日午前一一時過ぎに散歩に出かけようとした際、呼吸ができないくらい胸が苦しくなり、現在も、心臓が痛いと訴えたため、心電図をとるとともに、内科医である西澤医師の診察を受けた。西澤医師は、惠昭が、ベッドから立ち上がったときに、目の前が暗くなったと述べたことから、起立性低血圧を疑い、また、胸が痛いとの訴えから、狭心症や心筋梗塞といった虚血性心疾患を考えたが、血圧は収縮期一一〇mmHg、拡張期六八mmHg(以下、単に「一一〇―六八」のように示す。)、心拍数は毎分六八で特に異常はなく、また、心電図において、IのS波が0.45ミリボルト、ⅢのQ波が0.05ミリボルト、Ⅲの陰性T波がそれぞれ認められたが、STの変化はなく、V1からV3までの陰性T波も出現しておらず、正常の範囲内であった。西澤医師は、惠昭に対し、肋間神経痛や狭心症であると説明した(甲第六号証)。惠昭は、同日午後八時、看護婦に対し、心臓部の痛みや立ちくらみはなくなった旨話している。

(二)  惠昭は、平成四年四月一九日午前六時、看護婦に対し、胸部の症状はないが、近頃疲労感があること、痔から出血が時々多量にあることを話し、同日午前一一時には、顔色は不良気味であったが、不整脈、動悸、胸痛、眩暈はなく、深呼吸しても心臓が痛くないと話していた。同日午後二時には、37.0度の微熱があり、廊下を歩行する時、動悸がある旨の訴えがあり、不整脈が見られたが、その他の症状に変化はなく、同日午後八時には、看護婦に対し、トイレへ行った後の胸の苦しさはなくなり、眩暈や悪心はない旨話した。

(三)  惠昭は、平成四年四月二〇日午前六時及び午後二時には、胸の苦しさはなく、整形外科で湯沢医師の診察を受けた際、装具を装着して松葉杖なしで歩行することができ、さらに装具の調整等が行われた。

ところが、惠昭は、同日午後四時三〇分ころ、看護婦に対し、突然「走った後のように苦しいです」と胸の苦しさを訴えたため、西澤医師の診察を受けたが、その際、惠昭は、胸苦を訴え、脈拍も毎分一三二と速く、心拍数も毎分一四〇台に増加していたが、午後五時四〇分には、心拍数は依然頻脈ではあるが、毎分一二五台まで落ち着きをみせた。惠昭の心電図所見には、aVR及びV1にST上昇が見られ、V1からV3には、陰性T波が認められた。また、IのS波が0.6ミリボルト、ⅢのQ波が0.1ミリボルトと増大し、ⅢのT波が陰性になっていることが認められ、西澤医師は、硝酸薬のフランドルテープを貼付し、モニターを装着して経過を観察し、翌日も心電図をとることとした。

同日午後八時、看護婦が巡回したところ、惠昭は、胸や呼吸の苦しさ、チアノーゼ、頭痛、吐き気はないが、動悸があり、心拍数は毎分一三〇台に上昇し、脈拍は毎分一三六台と頻脈であった。

(四)  平成四年四月二一日午前零時、惠昭の心拍数は毎分一二〇台から一三〇台で、惠昭から眠れないとの訴えがあったため、医師に上申して注射施行し、同日午前三時(睡眠中)の心拍数は毎分九八から一一〇台で、同日午前六時(睡眠中)の心拍数は毎分一一〇台で、脈拍は毎分一〇八であり、呼吸は平静で、四肢冷感やチアノーゼの症状はなかった。同日午前一一時、胸や呼吸の苦しさ、肺雑はないが、動悸があり、心拍数は毎分一二〇台で、頻脈であった。同日午後二時には、胸苦しさも動悸もなく、四肢冷感やチアノーゼもなかったが、心拍数は毎分一二四で、依然頻脈の状態であった。

同日、西澤医師が診察した際には、自覚症状は、まだ少し胸部不快感があるが、前日より大分落ち着いてきており、他覚的な所見としては、心拍数は毎分一三〇台で整脈で、血圧は一二〇―八二であり、心電図は、前日の所見よりもⅢのT波の陰性が増大したほか、V4に陰性T波が新たに出現したが、内科的変化は認められなかった。同日午後五時〇〇分には、トイレ歩行時心拍数は毎分一四〇台から一五〇台と頻脈となった。

ところが、同日午後五時四〇分、惠昭は、「トイレへ行って来ます」とナースステーション前まで歩いてきて、看護婦が「大丈夫ですか」と声をかけたのに対してうなずき、トイレへ向った。看護婦は、惠昭がトイレから部屋にも戻っていると思い、フランドルテープ貼用のため惠昭の病室を訪れたが、惠昭は在室せず、トイレからの戻りが遅いため、トイレまで様子を見に行くと、惠昭は、五階のトイレの中で座り込んでおり、意識はあるが、顔色は蒼白色で、チアノーゼが認められ、冷汗があり、呼吸が速拍になっており、呼吸苦を訴えていた。そこで、惠昭を、車椅子で五〇一号室へ移送し、その最中に、血圧を図ったところ、触診では八〇mmHg前後であり、脈拍は微弱であった。同日午後五時五〇分、酸素吸入を開始し、西澤医師が診察を行い、採血し、血液ガス分析検査の結果、炭酸ガス分圧は、平常値が三五から四六mmHgであるのに対し、16.3mmHg、動脈血酸素分圧は、平常値が八〇から一〇八mmHgであるのに対し、78.5mmHgであり(甲第四号証二六丁)、血圧を触診で測定するも、八〇mmHg前後であり、惠昭は、時々苦しいと大声を発していた。同日午後六時、惠昭を三〇二号室へ移送するためストレッチャーへ移動時、惠昭はけいれんを起こし、四肢及び頚部は硬直し、呼吸は停止し、意識もなくなり、血圧は測定不能となった。同日午後六時一〇分に三〇二号室へ到着した際には、瞳孔は散大し、心臓は停止し、尿失禁があり、心臓マッサージが開始され、強心剤の心内注射等が施された。同日午後七時、惠昭を三〇五号室に移動させ、レスピレーターを装着し、心臓マッサージを続行したが、症状に改善はなかった。同日午後八時一〇分、惠昭の両親である原告らが来院したが、同日午後八時四二分、西澤医師は、惠昭の死亡を確認した。

西澤医師は、原告らに対し、整形外科で入院していた骨折とは別に同月二〇日夕方から、胸苦しさを訴えていたこと、心電図において狭心症のような変化があったこと、フランドルテープを貼り、心電図をモニターで観察して対応していたこと、同月二一日午後五時五〇分になり、突然、脳塞栓が発生し、それも脳の大血管に塞栓が起こったと思われ、けいれん、呼吸低下、意識低下がおこったこと、諸々の手だてにもかかわらず死に至ったことを説明したが、原告らは、右説明に納得せず、西澤医師が解剖を勧めるも、原告らは、死体を切り刻むのはかわいそうであるとして承諾しなかった。

(五)  西澤医師は、平成四年六月二日、惠昭が、同年四月二一日午後八時四〇分、本件病院において、原因不詳による急性心不全によって死亡したとの死亡診断書を作成した(甲第三号証)。

5  惠昭の死亡後の状況

原告らは、被告腰越に対し、示談として、治療費全額、死亡に伴う慰謝料八〇〇万円、葬祭費一二〇万円の支払を求める申し入れをしたが(乙い第一号証の一一)、金額で話し合いがつがず、自賠責からも、本件事故と惠昭の死亡との間には、因果関係がないとして、一三〇万円までしか支払われないとのことであった。(乙い第二号証)。

また、被告腰越については、刑事手続上、本件事故は、業務上過失傷害事件として取り扱われ、処理された。

三  被告らの責任について

1  被告法人の責任について

(一)  原告は、惠昭には、平成四年四月一八日から、肺塞栓症を疑うべき症状が出現していたのであるから、西澤医師は、遅くとも、同月二〇分午後四時三〇分ころには、惠昭が肺塞栓症であることを疑って、適切な処置をすべき義務があったにもかかわらず、これを怠って、惠昭が肺塞栓症であることを疑わず、惠昭に対して肺塞栓症に対する処置、検査を実施せずに放置した結果、惠昭は肺塞栓症により死亡するに至ったのであるから、西澤医師には、惠昭に対する診療義務違反の過失が存し、西澤医師は、惠昭の死亡に係る損害について賠償責任を負うと主張する。

(二)  肺塞栓症の症状は、自覚症状として、呼吸困難、胸痛、血痰、不安感、咳漱、発汗、動悸、頭痛などが挙げられ、他覚所見としては、腋窩部、前胸部、眼球結膜の点状出血、頻呼吸、頻脈、ショック、チアノーゼ、頚静脈怒張、肝腫大、浮腫、三八度以上の発熱、動脈血ガス分析における動脈血酸素分圧及び炭酸ガス分圧の低下などが挙げられるほか(甲第一六号証、第二〇号の二、第二一号証の二、三、乙い第三号証)、心電図では、IのS波とⅢのQ波がそれぞれ0.15ミリボルト以上で、ⅢのT波が陰性となるSIQⅢTⅢ型や、V1からV3において、陰性T波が見られる(甲第二一号証の四)。また、発症の危険因子としては、下肢の深部静脈瘤、外科手術、心疾患、長期臥床、骨折、外傷、肥満、妊娠、出産、産褥、感染症、避妊用ピルの長期服用があり(甲第一六号証)、発生時期としては、一般的には術後一週間で発症するが、長期臥床後の歩行開始時に突然発症することもあるとされており(甲第一八号証の二)、確定診断は、肺血管シンチグラムや肺動脈造影による(甲第二三号証)。

惠昭については、剖検は行われていないし、肺塞栓症の確定診断方法である肺血管シンチグラムや肺動脈造影の検査も実施されていないので、惠昭の死因に関する客観的な資料は存しない。

しかし、前記認定した事実によると、惠昭は、平成四年三月二二日、本件事故により右腓骨骨折等の傷害を負い、その治療のため、本件手術を受けたのであるから、肺塞栓症を発症させる危険因子を保有していたところ、同年四月一八日、突然、呼吸ができないくらいの胸の苦しみや心臓の痛みを訴え、同月一九日には、疲労感、動悸及び不整脈が継続し、同月二〇日には、走った後のように苦しいとの胸の苦しみを訴え、以後、頻脈や動悸が続き、心拍数も増大し、同月二一日にも、依然として動悸及び頻脈が継続し、同日午後五時四〇分にトイレの中で座り込んでいる状態で発見された時点では、呼吸の苦しさを訴え、チアノーゼが見られ、その後も苦しいと大声を発していたというのであり、惠昭は、肺塞栓症に見られる呼吸困難、胸痛、動悸、頻脈の症状を呈していたことが認められる。また、同月二〇日及び同月二一日に実施された心電図所見では、いずれも肺塞栓症に典型的なSIQⅢTⅢの波形に類似した波形や、V1からV3までの陰性T波が現れているし、同日に実施した血液ガス分析結果では、炭酸ガス分圧及び動脈血酸素分圧がいずれも平常値より下回るという肺塞栓症に特有の症状が見られ、さらに、惠昭は、負荷を掛けて歩行練習を開始した同月一三日の五日後である同月一八日に突然胸の苦しみを訴え、その三日後に死亡していることにかんがみると、惠昭は、肺塞栓症と認められる症状を呈した後に死亡したのであるから、惠昭は、肺塞栓症を発症して死亡したと認めるのが相当である。

この点、被告法人は、肺塞栓症は、事故ないし手術から一週間で発症するところ、惠昭は、本件事故及び本件手術から約三週間経過してから死亡しているので、肺塞栓症の発症時期とは合致しないと主張するが、右発症時期は、絶対的なものであるとは認め難いし、本件においては、前記認定のとおり、惠昭は、同年三月二二日、本件事故により右腓骨骨折等の傷害を負い、その治療のため本件手術を受けた後から、トイレや電話のために松葉杖で体を支えながら本件病院の廊下を移動したり、ベッドに座ったまま足を床に下ろす等していたが、歩行時やベッドから足を下ろしていると疼痛やしびれがあると訴えており、同年四月一七日に装具を付けて、やっと歩ける程度まで回復したというのであり、この間、惠昭は、トイレや電話に行くことを除いて、本格的に日常的な挙措として歩行したという事実を認めることはできず、かえって、同月一三日から装具を付けて歩行練習を始めたというのであり、その後、同月一八日、突然、呼吸ができないくらいの胸の苦しみや心臓の痛みを訴え、同月一九日には、疲労感、動悸及び不整脈があり、同月二〇日には、走った後のように苦しいとの胸の苦しみを訴え、頻脈が続き、心拍数も増大しており、右同日に実施された心電図検査では、肺塞栓症で見られるSIQⅢTⅢに類似した波形やV1からV3の陰性T波の所見が得られるに至ったのであるから、これらの症状は、装具を付けての歩行練習の開始が肺塞栓症の発症の契機となったと認めるのが相当であり、また、惠昭の死亡に至るまでの諸症状、心電図や血液ガス分析の検査結果に照らして、惠昭は、肺塞栓症を発症して死亡したと認められるから、被告法人の右主張は、採用できない。

(三)(1)  被告法人は、西澤医師は、当初は、惠昭に肺塞栓症が発症していることも念頭においていたが、惠昭が胸の痛みを訴えたのが、本件事故及び本件手術から約三週間経過してからであり、肺塞栓症の発症時期と矛盾するため肺塞栓症ではないと判断し、むしろ、心電図において、陰性T波、ST上昇の所見が得られたことから心筋梗塞を疑って、経過観察を行ったのであるから、診療義務違反は存しないと主張する。

しかし、肺塞栓症においても、心電図検査で陰性T波の所見は得られるし、ST上昇の所見があったとしても、他方で、前記のとおり、肺塞栓症の典型的な波形であるSIQⅢTⅢに類似した波形及びV1からV3にかけての陰性T波が現れている上、惠昭が、肺塞栓症の危険因子を保有していたこと、惠昭の症状が肺塞栓症に見られる症状と一致していること、その他、特に肺塞栓症と心筋梗塞を判別する検査等を実施していないことをも合わせ考慮すると、ST上昇の所見があったことは、心筋梗塞の可能性を肺塞栓症の可能性に優先させる理由にはならない。また、惠昭は、本件手術後から、トイレや電話のために、松葉杖を用いて本件病院の廊下を移動していたが、病院内の生活において、右以外に廊下等を歩行していたという事実を認める証拠は存しないし、惠昭は、足を垂直に床に下ろすと右足にしびれ等があると訴えているのであるから、惠昭は、トイレや電話等、最低限必要な場合に、本件病院内を移動していたというべきであり、歩行練習を開始するまでは、基本的には安静の状態であったと認めるのが相当であるから、松葉杖を用いずに負荷をかけて歩行練習を開始した平成四年四月一三日の五日後に肺塞栓症の症状が出現したことは、その発症時期において、肺塞栓症の可能性を排斥するものではない。しかも、前記認定した事実によると、西澤医師は、平成四年四月一八日に惠昭が突然呼吸ができないという胸の苦しみを訴えて、初めて西澤医師の診察を受けた際、西澤医師は、惠昭について、特別な検査をすることなく、起立性低血圧を疑い、惠昭に対しては、肋間神経痛や狭心症であると説明し、その後は、心筋梗塞を疑って、経過観察していたが、惠昭が死亡した後に、家族に死因について説明したときは、原因不明の脳梗塞が生じたと説明しているのであり、このような西澤医師の診察経過や説明内容に照らしても、西澤医師が惠昭について肺塞栓症の発症を疑っていたことを認めることはできない。よって、この点に関する被告法人の主張は、認められない。

(2) 以上により、平成四年四月二〇日午後四時三〇分ころまでに現れた惠昭の症状や検査結果には、惠昭に肺塞栓症が発症していたことを疑わせる症状や検査結果が得られていたことが認められ、他方、肺塞栓症を積極的に否定する症状や検査結果が得られていたと認めることはできないから、西澤医師は、惠昭に肺塞栓症が発症していることを疑い、肺塞栓症の予防措置を採り、他の疾病との識別検査を行い、適切に肺塞栓症の治療を行う義務が生じていたというべきである。

しかるに、西澤医師は、惠昭が心筋梗塞であることを疑って、フランドルテープを貼付して、経過観察を行ったのみで、肺塞栓症に対する識別検査を実施していないし、予防的な措置として、ヘパリンを投与する等の抗凝固療法も行っていないのであるから、西澤医師には、惠昭に対して、適切な診察、治療をすべきという診療義務違反の過失が認められる。

(四)  西澤医師が、この時点で、肺血管シンチグラムや肺動脈造影等の識別検査を行っていれば、惠昭が肺塞栓症であることについて確定診断を得、肺塞栓症のための有効な治療、処置を迅速に行うことができたし、また、ヘパリンを投与する等の抗凝固療法を実施していれば、平成四年四月二一日午後五時ころの急激な容態の悪化を防ぐことができたというべきであるから、西澤医師の右過失と惠昭の死亡との間には、相当因果関係が認められ、西澤医師は、惠昭の死亡に係る損害を賠償する責任を負うとするのが相当である。

(五)  被告法人は、原告らに対し、惠昭の剖検を勧めたにもかかわらず、原告らがそれを拒否したため、被告法人は、過失がなかったことを証明する手段を原告らによって奪われたのであるから、被告法人に対する損害賠償の請求は、信義則に反すると主張する。しかし、本件において、剖検が行われなかったために、惠昭の死因が明らかにならなかったことは否定し得ないところであるが、死因を明らかにするための剖検に対し、遺族はこれに応じなければならないものではないし、原告らが剖検の勧めを拒否したのは、惠昭の死体を切り刻むのはかわいそうであるという親としての心情によるものであり、殊更に、剖検の勧めを拒否しながら、本件の訴えを提起したという事実を認める証拠も存しないし、原告らが剖検を拒んだことが、著しく信義に反し、社会通念上不当であると認めることはできないので、被告法人の右主張は、理由がない。

(六)  以上により、被告法人は、西澤医師を雇用していた者として、惠昭の死亡に係る損害を賠償する責任を負うことが認められる。

2  被告腰越の責任について

原告らは、被告腰越は、惠昭の死亡についても、賠償責任を負うと主張する。

惠昭は、前記認定のとおり、本件事故によって右腓骨骨折等の傷害を負って、本件病院に入院し、その治療のために本件手術を受けたが、その後、肺塞栓症を発症し、死亡するに至ったのであるが、骨折した場合、右骨折箇所から遊離した脂肪組織が、肺塞栓症の塞栓子となって、肺塞栓症を発症させることや、外科手術及び長期臥床による血流障害によって形成された血栓が塞栓子となって、肺塞栓症を発症させることがあり(血栓子を塞栓子とするもののうち、外科手術の要因を有する者が五四分の一一、安静臥床の要因を有する者が五四分の四である旨の報告がされている(甲第二一号証の三)。)、骨折患者のうち、一から二パーセント前後に脂肪を塞栓子とする肺塞栓症が見られるとされており(乙い第三号証)、骨折から脂肪を塞栓子とする肺塞栓症が発症する可能性は、必ずしも低いものとはいえない上、骨折を伴って死亡した症例のうち六七から九七パーセントに脂肪を塞栓子とする肺塞栓症が認められたとする報告が存在し(甲第二一号証の二)、肺塞栓症の患者の死亡頻度は約三三パーセントであると算出されていること(甲第二一号証の六)を考慮すると、本件事故による惠昭の前記傷害が、肺塞栓症を発症させる蓋然性を有していたというべきであるから、本件事故を発生させた被告腰越は、惠昭の死亡について責任を負うとするのが相当である。

3  被告らの共同不法行為

被告腰越は、過失により本件事故を起こして、惠昭に対して右腓骨骨折等の傷害を負わせて、惠昭の死亡の原因を生じさせた者であり、西澤医師は、本件事故に起因する惠昭の右腓骨骨折等の治療中に、右腓骨骨折等を原因として発症した肺塞栓症に対して適切な処置を採らなかったために、惠昭を死亡させるに至ったのであるから、被告腰越と西澤医師の各行為は、惠昭の死亡という結果の発生に対して、社会通念上、一連の行為として客観的な関連性が認められるので、被告らは、惠昭の死亡によって生じた損害について、連帯して賠償する責任を負う。

四  そこで、被告らが賠償すべき金額(円未満は、いずれも切捨て)について判断する。

1  損害

(一)  入院雑費 三万七二〇〇円

前記認定のとおり、惠昭は、平成四年三月二二日から同年四月二一日までの三一日間入院していたことが認められ、一日当たりの入院雑費は、一二〇〇円が相当であるから、入院雑費相当の損害は、三万七二〇〇円であると認める。

一二〇〇円×三一日=三万七二〇〇円

(二)  入院慰藉料 五〇万円

惠昭の負った傷害の程度、入院期間等を考慮すれば、入院慰藉料としては五〇万円が相当である。

(三)  逸失利益 三一六四万四六二七円

惠昭は、昭和三七年七月六日生まれで、亡当時二七歳の健康な男子であり、生存していれば、六七歳までの四〇年間は、稼働し得たと推定される。惠昭は、本件事故当時、日本大学通信教育部文理学科史学科に八年生として在籍していたが、退学予定であったというのであるから、賃金センサス平成二年第一巻第一表・年収額付のうち男子労働者の高等学校卒業の二七歳の平均給与年収(三六八万八四〇〇円)に、生活費控除率(0.5)及び労働能力喪失期間四〇年のライプニッツ係数(17.1590)をそれぞれ乗じて算定すると、三一六四万四六二七円となる。

368万8400円×0.5×17.1590=3164万4627円

(四)  死亡慰謝料 一八〇〇万円

惠昭が、独身の男子であること、その他本件に現れた一切の事情を総合すると、惠昭の死亡慰謝料は、一八〇〇万円が相当である。

(五)  葬祭費 一二〇万円

惠昭の葬祭に要した費用としては、一二〇万円が相当である。

(六)  小計 五一三八万一八二七円

2  過失相殺

前記認定した事実によると、本件原付の前輪が浮いたことが本件事故につながっており、惠昭が後部荷台に同乗していたことも本件事故に寄与しているというべきであるところ、惠昭は、被告腰越と共に相当量飲酒しており、本件原付に二人乗りすること自体が法規違反であるにもかかわらず、被告腰越から二人乗りを持ちかけられた際、漫然と、被告腰越の誘いにのって、本件原付の後部荷台に同乗して本件事故に遭ったのであるから、惠昭にも過失があるというべきであり、本件事故に至る一切の事情を考慮すると、その割合は、四割であると認めるのが相当である。

5138万1827円×(1−0.4)=3082万9096円

なお、原告らは、仮に惠昭に本件事故の発生について過失があるとしても、惠昭には、西澤医師が診療義務に違反するに当たっての過失が存在しないから、被告法人との関係で本件事故における惠昭の過失をもって過失相殺するという主張は失当であると主張する。しかし、過失相殺は、損害を公平に分担するところにその趣旨が存するのであり、惠昭の死亡は、前示のとおり社会通念上、一連の行為として客観的な関連性の認められる本件事故と被告法人の過誤によるものであり、被告らは、惠昭の死亡によって生じた損害について、連帯して賠償する責任を負うと認められるのであるから、惠昭の死亡の誘因となった本件事故の発生に惠昭の過失が存する以上は、その生じた損害額全体について相殺するのが相当であり、原告らの主張は採用しない。

3  被告腰越による弁済

被告腰越が、原告らに対して、一〇万円をすでに弁済していることは当事者間に争いがないから、前項の金額から一〇万円を控除すると、被告らが原告らに対して賠償すべき金員の残金は、三〇七二万九〇九六円である。

4  弁護士費用 三〇〇万円

本件事案の内容、審理の経過、認容額等に照らすと、弁護士費用は、三〇〇万円が相当である。

5  右のとおり、被告らの賠償すべき金額は、三三七二万九〇九六円であるから、被告らは、連帯して、原告らに各一六八六万四五四八円の損害賠償をする義務を負う。

五  よって、原告らの請求は、連帯して、被告らに対し、各一六八六万四五四八円及び惠昭が死亡した日である平成四年四月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求は、いずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六四条本文を、仮執行の宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官星野雅紀 裁判官白井幸夫 裁判官檜山麻子)

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